歴代学会長 特別鼎談「超える。つながる。世界を変える。」
いよいよ超異分野学会2021-2022シーズンが開幕する。超異分野学会とは、異分野・異業種、所属などあらゆる垣根を超えて議論し、新たな知識を生み出す場だ。その始まりから数えて19年目を迎えた今、変化の時を迎えようとしている。超異分野学会の本質とは何か。そして今後どのようにアップデートすべきなのか。リバネスの歴代学会長3人が語り合った。
超異分野学会 学会長 岡崎 敬
大阪大学大学院卒博士(理学)。産業技術総合研究所特別研究員を 経て2010年に株式会社リバネスに入社。研究シーズ発掘や産学連携の マッチング、人材育成、地域アクセラレーション等の業務に取り組む。
代表取締役副社長CTO 井上 浄
東京薬科大学大学院薬学研究科博士課程修了、博士(薬学)、薬剤師。リバネス創業メンバー。研究開発を行いながら、大学・研究機関との共同研究事業の立ち上げや研究所設立の支援等に携わる研究者。熊本大学薬学部先端薬学教授等複数のアカデミアポストを兼務。
執行役員 髙橋 宏之
2009年横浜市立大学大学院博士後期課程修了。博士(理学)。「リバネス研究費」や「超異分野学会」の立ち上げなど、産業界と若手研究者との間で新たな研究プロジェクトを生み出す仕掛けに貢献。株式会社NEST iPLAB取締役を兼務。
学会の本質はどこにあるか
岡崎 今日はこの3人で超異分野学会のアップデートについて考えたいのですが、その出発点として「そもそも学会とは何か」というところから話を始めてみたいなと。
井上 いわば源流を辿るわけですね。それでいうと、現代的な学会の定義としては「ある分野の専門家が集まって、その場で提示されるデータの確かさを議論する場」なんですよ。
岡崎 私は歴史を紐解いてみたのですが、学会の起源は1600年代の英国王立協会だとされていて、論文や学会誌が初めて登場したのもその当時です。つまり、研究で得られた知識は“共有”と“蓄積”をすべきだ、という考えが根本にある。必ずしも“確かさの検証”に焦点を絞ったものではなかったと思うんですよ。
髙橋 ただ現代の学会でも、ポスター発表ではプレリミナリーなデータについて議論することはよくあります。仮説をいろいろな人と話すことによって、研究自体の可能性を広げるという主旨はやはりありますよね。最近では学際的な要素のある学会も増えています。とはいえ、生物なら生物、という分野のくくりは大前提として存在するので、その壁を超えるところまではいってないですね。
岡崎 その点、学会の源流においては、基本的には分野不問だったわけです。
井上 つまり“科学”という分野だった、と。
髙橋 そこから少しずつ細分化されたのが今の学会の形というのは言えそうですね。
井上 それをもう一度、“科学”に戻そうよ、というのは、超異分野学会のコンセプトとして確実にありますね。ただ、僕が思う超異分野学会は、単に多様な分野の人が集まっている、というだけでは足りないんですよ。むしろ「何か新しいことをやりたい」という熱のある人が集まった結果として、この場には色々な分野が混ざっているんだ、と。つまり結果的に“超異分野になった”というのが大事なわけです。
髙橋 自分のコアとなる専門分野を確立した上で、「他の分野と何か掛け算ができないか」と探している人たちが集まっている、というのが重要だということですね。
岡崎 多様な分野だけでなく、多様な“志”が集まる学会でもある、と。
井上 自分の分野を突き詰めていくことは、当然ながら極めて重要です。その一方で、分野を混ぜることによって初めて生まれることもある。そのいずれもが“研究”の本質だと思うんですよ。
“異分野”が意味するもの
井上 最近すごく気になっているのは、コロナ禍の影響でオンライン学会が増えていますよね。それは仕方ないことではあるし、遠隔で参加できるメリットも確かにあります。ただ、オンラインになったことでディスカッションが少なくなっている、ということには本当に危機感があるんです。
髙橋 確かに、過去の超異分野学会を振り返ってみても、一番盛り上がるのはポスター会場だったりします。多様な分野の人々が集まる中で、リアルなコミュニケーションを取ることでそこから新しいものが生まれる、というのが超異分野学会の真髄です。その意味でも、学会から対面でのディスカッションが失われてしまうことの代償は大きいですね。
井上 特に超異分野学会では、研究に取り組んでいる中高生もポスター発表をするじゃないですか。彼ら彼女らの目の輝きというか、研究に打ち込むピュアな思いに触れることで、大学の教授であっても「ああ、研究ってこういうことだよな」と初心に立ち返るような場面があるわけです。あの感覚は、絶対にリアルじゃないと味わえないことだと思うんです。
岡崎 さらに付け加えると、超異分野学会には町工場の方や、企業の研究所の方など、アカデミアの中ではなかなか接する機会のない人々も集まります。これだけバックグラウンドが異なる人々がコミュニケーションをするためには、やはりリアルな環境のほうが何かとスムーズだと思います。
髙橋 それも超異分野学会の特徴であり、強みですね。超異分野学会の“異分野”は、それこそ科研費の大項目の分野の話ではなくて、“世代の異なり”、“携わっている仕事の異なり”、“キャリアの中での経験の異なり”といった非常に広い意味を持つ“異分野”なんです。
井上 そして、それだけ“異分野”であるにも関わらず、どうしても解決したい課題があるとか、誰かと何かを一緒に仮説検証したい思いがあるといった、研究者としての本能の部分は共通しているわけです。そんな集まりがリアルの場で実現すれば、絶対に面白いことが起きるに決まっているんですよ。
知の共有、ベクトルの発信
岡崎 どうすれば面白いことが起こるか、という視点での仕掛けは、ここ数年ずっと取り組んできたことですね。
井上 その部分をさらに推し進めていくために絶対に必要なのが「企業内で行われている研究をいかに共有していくか」だと僕は思っているんです。
髙橋 企業側にとっては、“オープン”と“クローズ”のバランスが最も難しい部分ですね。
井上 その通り。ただ、その難しさを理解した上で、それでもオープンにしていくことが、これからの科学技術の発展には極めて重要です。いわばそこには、科学技術にとっての“見えざる大陸”があるわけですよ。知財の問題はもちろんありますが、企業が取り組んでいる研究の門戸を少しずつでも開いていくことに、次の進化のヒントがあるはずです。
岡崎 知的財産の制度というものも、本来は知識の公開によって、技術や文化の発展を目指すことを目的にしています。冒頭で触れた学会の原点と同じで、新たな知をつくり出すためには、やはり“知の共有”が必要なんですよね。ただ、市場競争においては秘匿しなければならない部分も当然あるわけで。
髙橋 その点については、超異分野学会を続けてきたことで一定の解決策は見えてきています。どういうことかというと、知っていることを詳細に話す必要は全くないんです。そうではなくて、「自分はこういうことをやりたいと考えている」というベクトルを発信することができれば、「実は私もそう思っていました」という共感が広がって、自然と新しいものごとの種が生まれるわけです。
井上 競争は資本主義における“推進力”でもあります。そこに勝ち負けがあるからこそ、企業は研究開発に投資をするし、それが結果的に新たな価値につながっていきます。その意味では、これからの超異分野学会が証明していくべきなのは、「超異分野という考え方を取り入れること自体が企業の競争力になるんだ」ということだと思うんです。
岡崎 つまりこれまでの固定観念を超えて、企業内の研究の要素をオープンに開示することによって、より大きな成果が出るという仕組みを、超異分野学会として作っていく必要があるということですね。
井上 まさにそういうことです。秘匿の必要性はもちろんあるけど、それでも可能な部分から開示していくというチャレンジに、企業を巻き込んでいきたい。
髙橋 “見えざる大陸”という意味では、まだ超異分野学会に参加したことのない研究者の皆さんも含まれますよね。
岡崎 個人的には正直、研究は自己満足でもいいと思っているんです。ただ、そこで得られた“知の共有”と、そして「自分がこういうことをやりたい」という“ベクトルの発信”が大事。アカデミアであれ企業であれ、町工場の匠であれ、何かしら仮説を立てて試行錯誤しながら見いだしてきた人たちはみな研究者だと思うのです。本人が研究者だと自認していなくても、そのような知は、皆が持っていて当たり前ですよね。その知識を人類の未来に向けて融合していくことで、新しい世界が開かれるはずです。
(構成:塚越 光)