研究者が世界に仕掛ける協働ロボット 尹 祐根
2014年7月に新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が「ロボット白書」を発表、2015年1月には経済産業省が「ロボット新戦略」を発表し、世の中ではかつてないほどにロボット業界への注目が高まっている。今回お話を伺った尹祐根氏は、この機運に先立って2007年に産総研発ベンチャーとしてライフロボティクス株式会社を立ち上げ、現在ピッキング用コ・ロボットCOROの開発と製造販売を行っている。本稿では尹氏の視点を通じて、今ロボット研究者が何を仕掛けるべきなのかに迫る。
過去に2度起きたロボットブーム
過去にもロボットが注目されていた時期があった。1980年代に訪れた第1次ロボットブームでは、電機産業、自動車産業を中心に製造業に幅広く産業ロボットが導入された。ここからロボットを新しい分野へ応用しようという動きが始まり、10年以上に渡る水面下での研究開発期間を経て2000年代に二足歩行を中心とした民生用ロボットブームが到来する。HONDAのASIMOを皮切りに次々と歩行やダンスを行うロボットが発表され、愛知万博で大きな盛り上がりを見せたことを覚えている人も多いだろう。しかし、この時期に発表されたものの多くは商品化されず、かつて産業用ロボットが示したような市場展開を果たすことはなかった。2006年のソニーによるロボット事業からの撤退に代表されるように、民生用ロボットと市場との間にはまだ壁があることが露呈したのだった。
産業ロボットへの回帰
現在、テレビや新聞、雑誌などで取り上げられている第3次ロボットブームはコミュニケーションや介護といった分野が取り上げられる事が多く、第2次ブームの延長線上に見える。ただ、10年が経過した今でもまだ市場ニーズとの乖離があると尹氏は話す。「実際にロボットベンチャーを立ちあげてビジネスをしていると、ニーズの中心は産業の現場で使用する協働ロボット(コ・ロボット)にある事がわかります。海外でも、注目をされているのはやはり協働ロボットですね」。
尹氏がライフロボティクスを立ち上げたのは2007年。ビジネスの中で市場ニーズを敏感に感じ取りながら開発を進めてきた背景を思うと、その言葉の重要性は大きい。現在、国内で協働ロボットを開発する企業は、ファナックやカワダロボティクス(川田工業のスピンアウトベンチャー)やスキューズなどが挙げられるが、それほどプレイヤーは多くない。その理由はロボットの性能、安全性、安定性、メンテナンス性などの技術面に加えて、会社組織に対する信用の面でも要求が高く、参入のハードルが極めて高いことにある。尹氏が産総研の研究者である間に立ちあげ、現在も代表として率い続けているライフロボティクスがこの分野で頭角を現しているのは、異例のことと言えるかもしれない。
沈みゆく国を救えるか
「2007年に創業した後しばらくの間は、誰にも見向きもされませんでした」。創業直後にリーマン・ショックが起き、労働力は余っていた。その背景ゆえに、協働ロボットの価値が無かったのだ。ただ、尹氏は平日の日中は産総研の研究を進めながら、私財を投じて夜と休日を使い、たったひとりで企業としての開発を続けた。「人口動態を見ると、将来日本の労働人口が減少するのは目に見えていました。働く人がいなくなれば、経済が低迷し、税収が減り、国が滅びていきます。この日本を支えるには、今研究を続けることではなく、労働力を補填するロボットを製品化し、人手不足の国内産業を支えるだけでなく、輸出による外貨を稼ぐしかないと考えたのです」。自分が進むべき未来が見えてしまった以上、その道を歩む以外の選択肢は存在しなかった、と尹氏は話す。
研究者ひとりで興したロボットベンチャーは、創業から6年ほど経った2013年以降にメディアに取り上げられるようになり、NEDO事業に採択され、大きく羽ばたき始めた。2015年11月に製品化したシンプルな動作のピッキング用コ・ロボットを核に様々な業種の大手企業との提携が始まっており、従業員も数十人規模に成長して、この業界での大きな存在感を示している。
未来を予測し、研究を進めよう
尹氏は「未来の世の中にとって必要だが、誰もやっていないこと」に気づいた。この視点はメガベンチャーを生み出すために必要とされるものだ。そして、この視点を得る素養を最も備えているのは、新しい問いと仮説を立てることを職務としている「研究者」ではないだろうか。10年後、20年後に、世の中はどう変わっているだろう。その未来の社会で必要な技術はなんだろうか。社会の動きを予測して立てた仮説こそ、真に未来を作る研究テーマになるはずだ。(文・齊藤想聖)