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2016.06.08 研究応援

カイコ研究が次世代産業の基盤をつくる 太田 広人

が国の近代産業を牽引してきた養蚕産業。斜陽産業と言われて久しいが、高品質な絹糸を大量生産するために、繭の大型化、飼育の低コスト化、絹糸の生産性向上など、育種・飼育技術の研究ノウハウが蓄積されており、さらに近年の研究開発を受けて、次世代産業としての芽が生まれつつある。また、農薬・医薬などの創薬研究においても、カイコは重要な生物となりつつある。

養蚕の新産業化に向けた期待

  近代日本を支えた養蚕産業の低迷は、ナイロンなどの代替素材の普及、安価な輸入品の増大、国内の絹織物の需要低下などが主要因とされる。ピーク時の1929年には約221万戸であった養蚕農家戸数は大幅に減少し、現在では全国500戸に満たない。

 一方で、カイコは品種改良の必要性から遺伝学的な研究が進み、近代の産業振興のみならず遺伝学の発展にも寄与してきた。遺伝子組換えカイコの研究は近年特に発展が目覚ましく、産業利用が始まっている。2000年に遺伝子組換えカイコが開発され、2014年には農業生物資源研究所において隔離飼育区画での試験飼育が承認された。飼育できる範囲も徐々に拡大しており、大規模生産へ着実に歩を進めている。これにより、衣料に限らず、バイオヘルスケア、医療・医薬品、食品・飼料、素材・材料、各種デバイスと多岐の応用が視野に入る。蓄積された分子生物学的なノウハウと育種・飼育技術が相まって、いま、養蚕業が新たに花開こうとしている。

カイコが産みだす“ピンポイント農薬”の研究基盤

 分子生物学の発展は、カイコを用いた次世代型の創農薬を支える可能性も産みつつある。熊本大学大学院先端科学研究部助教である太田広人氏は、カイコのGタンパク質共役型受容体(G protein-coupled receptor、GPCR)を利用し、創農薬の効率を高める研究を進めている。

SEAPレポーターアッセイ系を用いた農薬候補物質のスクリーニングスキーム

SEAPレポーターアッセイ系を用いた農薬候補物質のスクリーニングスキーム

 太田氏は、昆虫の中枢神経に存在するオクトパミンなどの生体アミンが摂食行動を調整することに着目し、GPCRであるカイコのオクトパミン受容体を培養細胞で発現させ、アゴニストならびにアンタゴニスト評価を行うSEAP(分泌性胎盤アルカリホスファターゼ)レポーターアッセイ系を構築、その有効性を確かめた※1。オクトパミン受容体に作用することで、昆虫の摂食行動に異常が生じることはすでに知られており、クロルジメホルムやアミトラズなどの農薬がすでに実用化されているが、太田氏らはSEAPレポーターアッセイ系を用いて複数の新規候補物質を発見したという。

 さらに、太田氏はさまざまな害虫種や益虫種のGPCRを発現する培養細胞ライブラリーを構築し、候補物質の評価を行うことで、特定の害虫種に特異的に作用する農薬の開発を進めている。近年、ネオニコチノイド系農薬がミツバチにも影響したことは記憶に新しいが、農薬に耐性をもつ害虫の出現や、環境負荷などを考慮した、次世代型の防除プログラムが求められている。「種特異的に作用する“ピンポイント農薬”というコンセプトの創農薬によって、これらの問題が解決できる」と太田氏。次世代型の創農薬基盤が、カイコ研究の発展によって築かれつつある。

カイコが医療・健康産業の基盤となる

 また、カイコの研究材料としての有用性についても太田氏は言及する。「ラットやマウスが実験動物として主流だが、倫理面やコスト面は今後大きな問題となる。扱いやすく、飼育も容易なカイコは、ヒトの疾患モデルの代替活用としての出口も考えられる」。太田氏はカイコの摂食行動・歩行がヒトと同じドーパミンシグナルによって制御されていることを見出しており、パーキンソン病や摂食障害、精神障害といった神経疾患のモデルとすることができると考える。

 カイコを用いた創薬は、すでに東京大学大学院薬学研究科の関水和久教授らが立ち上げたベンチャーである株式会社ゲノム創薬研究所でも実績があり、2015 年にはメシチリン耐性黄色ブドウ球菌に対する新規抗生物質「ライソシン E」を発見した※2。遺伝子組換えカイコの作出が一般化することで、近い将来、より幅広い創薬や創農薬、健康機能性成分等の研究基盤となることが十分に考えられる。カイコが繊維業界から飛び出して新しい産業を築き、発展を支える礎となることを期待する。(文・塚田周平)

※1 Ohta, H., Oshiumi, H., Hayashi, N., et al. Biosci. Biotech. Biochem.76(1), 209-211. (2012)

※2 Hamamoto H., Urai M., Ishii K., et al. Nat. Chem. Biol. Feb;11(2):127-33 (2015)

記者コメント

 本取材が行われたのは2016年4月5日であった。その翌週の4月14日以降、最大震度7を記録する熊本地震が発生、大きな被害を受けた。今なお余震が続き、経済への影響も大きい。熊本では、峯樹木園が2012年より養蚕業に参画、周年無菌全齢人工飼料飼育法による養蚕と冬虫夏草の生産加工に取組んでいる。また、昨年には株式会社あつまる山鹿シルクが桑の栽培で農業参入を表明するなど、新たな養蚕業の中心地になりつつある状況だ。今後の熊本の復興において、カイコがその中心的な役割を担うことも大いに期待していきたい。

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