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2017.12.07 研究応援

工学的視点が人間の感じ方を再現したコンテンツを生む 中本 高道

視覚情報を記録・再現する装置としてカメラとディスプレイ、聴覚に関してはマイクとスピーカーがあるように、嗅覚情報を記録・再現するシステムができれば、新しい産業分野が生まれるのではないか。東京工業大学の中本高道教授はこの考えを実現すべく、25年以上にわたって工学的視点から嗅覚システムの研究を行ってきた。

香りを“識別”する

 人間は400種類程度の嗅覚受容体から得られるシグナルを複合的に用いることで、1兆種もの香りを識別できる能力があるとされている。中本氏は、これと同様のことをセンサによって工学的に実現しようと、水晶振動子(QCM: Quartz Crystal Microbalance)と吸着膜を組み合わせたセンサを複数用いて、その応答パターンを入力としてNeural Networkを介して識別するシステムを考案した。「例えば8つのセンサで、ウイスキーの嗅ぎ分けを94%の精度で行えました」。驚くべきことに、25年以上も前の成果だ(*)。その後、より多様な香りを示す香水を嗅ぎ分けられるセンサアレイや、時々刻々と変化する香りをリアルタイムに識別するための集積回路までも開発し、香りを記録するためのシステムの完成度を高めてきた。

(*)T.Nakamoto, A.Fukuda, T.Moriizumi, Y.Asakura. Impronement of Identification Capability in Odor Sensing System,Sensors and Actuators, Vol. 3, pp. 3, 1991.

 近年では、生物の嗅覚受容体を利用したセンサの開発にも生物の研究者と共同で着手している。受容体とイオンチャネルが直結しており応答が速い昆虫細胞を採用し、香り成分の受容に対して蛍光タンパク質が応答するように設計されている。「生物が持つ嗅覚受容体は、特に選択性と感度の観点から従来のセンサとは異なる強みがあります」。多種多様な手法で、人間が感じるあらゆる香りを識別可能なセンサモジュールを開発し、嗅覚情報の記録を実現しようと考えているのだ。

要素臭で香りの再現を目指す

 記録の一方で、再現にも力を入れている。“◯◯の香りを生成するデバイス”というと、様々な成分を保持し吐出するものを思い浮かべるかもしれないが、それでは多様な香りの出力に対応できない。そこで中本氏が考えたのが、“要素臭”という概念だ。質量分析で得られたデータについて、成分ごとのm/zと強度をベクトルとして捉え、数百次元のベクトル空間に表す。百数十種類の精油が持つベクトル情報について解析を行った結果、そのうち30種類の組み合わせでほぼ全てを再現できることを数学的に明らかにしたのだ。これら30種類が、精油における要素臭といえる。「これを他の香りに広げるには、多種類の分析を行わなければなりません。香りの記録・再現の実現に向けた研究は奥が深く、30年間研究しても究めたとは到底いえないのです」。ただ、得られた知見を“嗅覚ディスプレイ”に活用する開発は進行している。要素臭を電磁弁制御によるマイクロディスペンサや圧電素子を用いた霧化器を用いて混合、ヒトに提示する装置を開発し、研究用途として販売。企業の開発現場でもすでに使用されているという。

香りで新たなコンテンツを創る

 嗅覚の記録・再現が可能になると、どのような世界が実現するだろうか。これまでに中本氏は芸術大学との共同研究から、嗅覚ディスプレイを用いた料理ゲームや香るアニメーションなどを生み出してきた。「過去に音楽や映像をデータとして記録し、再現する技術が生まれたことで、数多くのクリエイターが楽曲や映像作品を生み出し、産業が発展してきました。嗅覚についてもカメラやディスプレイのようなデバイスができ、そこに乗せるコンテンツが作られることで、新しい産業を生み出せるのではないかと考えています」。その第一歩として、映像や音楽にアクセントとして香りをつけてみることができる世界を創りたいと、自らのビジョンを語った。中本氏の研究成果の結実により、近い将来、映像や音に香りを織り交ぜたコンテンツが作れるようになるはずだ。

(文・五十嵐 圭介)

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